西郷隆盛に学ぶ会  (例会・資料1-2)


     西郷隆盛に関する年表 

社会的背景) (特筆事項


18271 1827文政10年)(0歳)

12月7日鹿児島城下の下加治屋町山之口馬場で、吉兵衛九郎隆盛満佐マサ

  長男と
して誕生。幼名小吉(こきち)。

1828(文政11年)(1歳)

1829(文政12年)(2歳)

1830(天保 1年)(3歳)

1831(天保 2年)(4歳)

1832(天保 3年)(5歳)

1833(天保 4年)(6歳)

  松本覚兵衛について儒学を学び始める。次弟吉二郎(隆廣)生まれる。

1834(天保 5年)(7歳)

1835(天保 6年)(8歳)

1836(天保 7年)(9歳)

1837(天保 8年)(10歳)

  大塩平八郎(中斎・元大坂東町奉行所の与力・私塾洗心洞で陽明学を教授。)の乱

  米船モリソン号浦賀に入港して砲撃。(モリソン号事件)

1838(天保 9年)(11歳)

  高野長英「戊戌夢物語」・渡辺崋山「慎機論」を著わし、幕府の外交政策を非難。

1839(天保10年)(12歳)

   造士館からの帰途、友人と争い、右肱を負傷する。武術より、学問に励むようになる。

  
蛮社の獄(洋学者弾圧事件、高野長英・渡辺崋山らを処罰。

1840(天保11年)(13歳)

  アヘン戦争1840〜1842

1841(天保12年)(14歳)

  元服して吉之介隆永と称する。

   水野忠邦天保の改革(株仲間の解散)(1851年、株仲間再興さる。)

1842(天保13年)(15歳)

  「天保の薪水給与令」(薪水給与令復活)

1843(天保14年)(16歳)

  三弟信吾(隆興・従道)生まれる。

  水野忠邦、「人返し令」(荒廃した農村復興の為。)

  水野忠邦、「上地令」(幕府の権力強化、財政補強が目的。)翌月撤回。

1844(弘化 1年)(17歳)

   藩の郡方書役助(こおりかたかきやくたすけ)に任用され、郡奉行迫田太次右衛門利済
  配下につく。(後、書役に昇進。
27歳まで勤務。)
  この頃、吉之介と称す。父は吉兵衛と称す。

  オランダ国王ウイルヘルムU将軍に親書。開国勧告。(1845年に幕府謝絶。)

1845(弘化 2年)(18歳)


121孝明こうめい天皇(在位期間 1846〜1866年)

1846(弘化 3年)19歳)

  下加治屋郷中二才頭(にせがしら)となる。

  郡奉行大野五右衛門の配下となる。

  アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル、浦賀に来航し、国交を求める。幕府通商要求拒否。

1847(弘化4年)(20歳)

  四弟小兵衛(隆雄)生まれる。

1848(嘉永 1年)(21歳)

  仏、二月革命

1849(嘉永 2年)(22歳)

  お由羅騒動おこる。

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